作家
 小田 実のホームページ Web連載 新・西雷東騒

■  第8回(2007.03.08)NEW
若狭、小浜の読書会のことから
■  第7回(2007.02.07)
安倍首相は辞任せよ
■  第6回(2007.01.11)
二〇〇七年・新年のあいさつ
■  第5回(2006.12.12)
「小さな人間」の勝利、しかし…
■  第4回(2006.11.07)
痛快でいい夢
■  第3回(2006.10.04)
裁判所は何のために、誰のためにあるのか
■  第2回(2006.09.14)
「平和憲法」実践の積極的提案を
■  第1回(2006.08.02)
神風は吹かなかった
■  はじめに                  

第7回(2007.02.07)
安倍首相は辞任せよ

 私は安倍首相は即刻辞任すべきだと考えている。市民は辞任を要求すべきだと考えている。
 まやかし、ヤラセのタウン・ミーテイング、それを前提としての教育基本法の一方的改定、内閣閣僚の度重なる失言、金まみれ政治の暴露など要求の理由はいくらでもあるが、私がここで問題にしたいのは、彼が「改憲」を、首相として自分が率いる政府の課題としていることだ。彼はこれまで再三再四そのむね「公言」して来ている。それならば辞任せよ。
 辞任して、一私人として、一市民として、彼が「改憲」を主張するのは自由だ。私は「改憲」にまっこうから反対するが、その自由は尊重する。しかし、彼は首相として「改憲」をやる、そのために努力する、これが政府の「公約」だとしている。これは許しがたい。
 理由は簡単明瞭である。憲法第九十九条が憲法の「最高法規」として、国務大臣、国会議員は、天皇、摂政、裁判官、公務員とともに「憲法を尊重し擁護する義務を負」っているとしているからだ。まして、首相は憲法をその根幹とする日本の民主主義政治のカナメの位置に立つ政治家ではないか。本来、憲法尊重、擁護の先頭に立つべき人物が、その重要な位置を使って、逆にこの憲法はろくでもない憲法だ、変えろと主張して「改憲」めざして動くことは許していいことではない。彼の言動は明白に憲法に違反している。くり返して言う。安倍首相は、即刻、辞任せよ。「改憲」の主張と行動は私人として、市民として行なえ。

 私を「代表」とする「市民の意見30・関西」などの市民運動は、二〇〇七年一月一七日に兵庫県芦屋で「阪神・淡路大震災」一二周年、市民集会、「『災害』と『九条』」を開催した。その席で、安部首相の辞任要求をはじめとした以下の「市民宣言」を出した。



 二〇〇七・一・一七 市民宣言

 安倍首相は憲法を変えたいと公言する。ならば即刻総理大臣を辞職せよ。
 憲法弟十章最高法規、第九十九条にあるごとく、国務大臣、国会議員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うからだ。まして、現行憲法を政治の基本とする日本の政治の中心に立つ総理は、その義務を第一に遵守すべきである。それをなぜ誰も要求しないのか。憲法を変えたいのなら、即刻総理を辞し、一市民に立ち返り主張を述べよ。私たちに必要なのは、憲法を遵守する総理であり、それ以外ではない。

 近年、可決成立した法案、審議中の軍事、労働、福祉、教育をも含めてのあらゆる法案は、本来、憲法と切り離して考えられるべきものではなかった。私たちが提案した「災害基本法」も、憲法そのものを内部に生かしたものとしてある。憲法を邪魔ものとして扱う内閣は、市民をあらゆる角度から苦しめる。即刻辞職せよ。

 アメリカの年頭に表明された、二万人もの兵をイラクに進行させる政策は、アメリカ国内の識者の言う通り、イラクのベトナム戦争化という愚行のエスカレーション以外のなにものでもない。アメリカ国内では中間選挙の民主党勝利により、イラク戦争は間違っていたという認識が勝利した。しかるに日本では、この戦争を支持し加担したことに一切の反省なく、悔悟もないのはなぜか。日本は即刻、兵を引け。まちがっても、今後新たな増派をし、ジョージ・ブッシュの愚行に追随してはならない。

 日本は、憲法第三章戦争の放棄、第九条第二「戦力を保持しない。国の交戦権を認めない」を含めて。『良心的軍事拒否国家』として、非暴力を唯一の手段として、国際紛争を解決し、世界を安定させる道を選ぶほかはない。暴力は連鎖する。平和をもってしか平和は築けない。「災害基本法」では、災害大国としての日本が、世界の災害救済に挺身する姿をもうたいあげている。

 市民よ、私たちは九条と無縁の政治を望まない。賛同する市民はともに声をあげよう。



 以上が、私たちが一月一七日の市民集会、「災害と『九条』」で発表した「市民声明」だが、「声明」のなかにある「災害基本法」について一言説明しておきたい。
 日本を地震、台風、洪水など自然災害多発の「災害国」としてとらえ、災害に迅速、適切に対応して、「阪神・淡路大震災」において見られた悲惨な「人災」と「棄民」のない国にするとともに、日本の外の災害に対しても迅速、適切に援助の手を差し伸べる国にする――そのための基本の法制度が「災害基本法」だが、私たちは一昨年の震災十周年から実現のための努力をして来ている。

 そして、もうひとつ、ここで述べておきたいことがある。
 それは教育の問題であれ福祉の問題であれ、あるいは環境の問題であれ、問題は、多くの場合、憲法の問題と不可避的に結びついた問題だが、それにもかかわらず、その結びつきを無視する、あるいはなるべく触れないですませる――こうした風潮が今メディアの世界に蔓延して来ていることだ。いや、これはメディアの世界だけの事態ではない。市民の側にあっても、憲法の問題は関係を問題にすると面倒なことになるというのか、憲法を論議の外におくという傾向が大きくなって来ているように見える。福祉の問題ひとつをとっても、憲法二五条は避けて通れない問題であるはずだが、そこまで根本的に問題を掘り下げて考えようとしない。今必要なことは、私たち市民の問題をもっと憲法というこの国家、社会の基本をかたちづくる政治原理に結びつけて考え、論じることだろう。憲法の問題は、何も安倍首相らが「改憲」を論じるための材料としてあるのではない。
 私たちが私たちの一月一七日の市民集会を「『災害』と『九条』」と名づけた意味は今のベたことで判ってもらえると思う。一二年前の「阪神・淡路大震災」の災害現場に出現した「人災」と「棄民」の政治はまさに憲法無視、違反の現場だった。被災者としての私にはその実感がある。

 私たちはこの一月の集会を皮切りに、順次「『われわれ』と『9条』」と全体を題した市民集会を開催する予定でいる。二月は、今福祉の現場で文字通り献身的な活動をされている市川礼子氏(社会福祉法人尼崎喜楽苑理事長)を招いて、「『福祉』と『9条』」と題した集会を芦屋で開く。一九日午後六時半。芦屋・山村サロン。参加歓迎。子細は電話:〇七二・九九八・一一一三へ。


(付記)
 前回の「新西雷東騒」で触れた私の三冊の著書の担当編集者が協同して企画した私の小さな講演会は実現の運びになって、「玉砕・Gyokusai」「9.11と9条」「終らない旅」刊行記念の小田実講演会として、岩波書店、大月書店、新潮社主催で、二月二二日、午後六時半から、東京・神田神保町の岩波セミナールーム(岩波アネックス三階)で開かれる。演題は「『小さな人間』の位置から」。会費五百円。子細は大月書店「小田実講演会」係〈電話:〇三・三八一三・四六五一〉へ。

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