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 小田 実のホームページ Web連載 新・西雷東騒

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裁判所は何のために、誰のためにあるのか
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第3回(2006.10.04)
裁判所は何のために、誰のためにあるのか

 7月20日、大阪地裁で、私を原告1048人の代表とする「イラク派兵訴訟」に対する判決が行なわれた。イラクへの自衛隊の派遣の違憲確認と差し止め、一人当たり一万円から百万円の損害賠償を求めて、第一次提訴が2004年4月30日、第一回公判が2004年9月16日、以後、原告の市民がそれぞれに思いを込めて証言した公判11回を経て、二年近くかかった公判の判決だ。判決は予想通り提訴の「却下」「棄却」だったが、判決には、それ自体の問題を越えて、民主主義の、あるいは民主主義認識の根本にかかわる問題があった。私は、今、そう考えて、この一文を書くことにした。同主旨の市民訴訟が行なわれた甲府、静岡、名古屋の各地裁でも同種の判決が出されて来ている。

 判決自体については、翌日7月21日の朝日新聞(大阪本社版)朝刊の記事が「違憲確認の訴え却下」「大阪地裁判決 憲法判断せず『政策批判で実現を』」の二つの見出しをつけて、うまくまとめ上げて書いていたので、その冒頭の一部を引用しておく(判決を報じたのは朝日新聞だけで、あとの各紙はすべて無視。朝日新聞も、大阪本社版だけで、全国的には無視した)。

 「大西忠重裁判長は原告が精神的苦痛を受けたことは認めたが、『原告の願いは政策批判活動などによって実現されるべきものであり、法的保護に値する利益とは言えない』と述べ、派遣差し止めと慰謝料請求は棄却した。違憲確認請求については『原告の権利の救済手段として適切ではない』として却下し、憲法判断に踏み込まなかった。原告側は控訴する方針。」

 朝日新聞の記事はつづけて判決の細部にわたって書いたあと、最後近くで、「判決後に記者会見した小田さんは『(派遣が)違憲か否かを決めるのが国会というなら、裁判所は何のためにあるのか。裁判官は法廷で判決理由すら言わず、市民に対する侮辱だ』と語った」と記していた。

 この発言にある私の判決批判は前後二つに分かれているが、通底している。

 私が「裁判所は何のためにあるのか」と批判したのは、ことは多数決で決める、多数決の選挙によってつくられた議会がすべてを決める、それが民主主義だとする、今、ふつう日本人がもつ民主主義認識がこの判決においても明瞭に読み取れたからだ。もちろんこうした認識は「三権分立」の民主主義政治の根本原則に反している。そして、この判決において、かんじんの裁判所が「民主主義=多数決=選挙=議会」という、今、日本の社会に社会通念のように強力にでき上がってしまった民主主義認識をむき出しに表していた。

 判決文には「間接民主制」という用語がくり返し出て来ていた。

 「原告らは、本件派遣等によって、戦争に加担しないで平和に生きたいという思い、人殺しに加担したくないとの信念、自己の納める税金を戦費に使用されたくないとの願いが否定され、精神的苦痛を被った旨主張するが、原告らが被ったと主張する精神的苦痛は、間接民主制の下において決定、実施された国家の措置、政策が自らの信条又は憲法および法の解釈の反することによる個人としての憤慨の情、不快感、焦燥感、挫折感等によるものというべきであり、かかる苦痛は、多数決原理を基礎とする決定に不可避的に伴うものであって、間接民主制の下における政策批判や、原告らの見解の正当性を広めるための活動等によって回復されるべきものであるから、上記の原告らの信念、思い、願いは人格権として法的保護に値する利益であるとはいえない。」

 「さらに、戦争に加担しないで平和に生きたいという思い、人殺しに加担したくないとの信念、自己の納める税金を戦費に使用されたくないとの願いは、先に説示したとおり、間接民主制の下における政策批判や、原告らの見解の正当性を広めるための活動等によって実現されるべきものであるから、法的保護に値する利益であるとはいえず、これを侵害されたことを理由とする損害賠償請求もまた理由がない。」

 こうした判決文の主張を読んでいて、私が考えることは、裁判官たちが日本の政治の根本にある民主主義をできるかぎり狭く、ただ「間接民主制」の政治制度に押し込めて解釈しようとしていることだ。しかし、民主主義は「主権在民」の政治の原理でもあれば、「主権在民」の政治を実現する手だてである。その手だてのひとつとして、「間接民主制」の政治制度、「多数決原理を基礎とする」議会、そこに政治の根をおいた議会制民主主義がある。ここで私は「あるにすぎない」とまで「間接民主制」の重要性を軽視して言うつもりはない。ただ、それは「主権在民」実現の民主主義の手だてのひとつで、他にいくらも手だてがある。たとえば、「多数決原理を基礎として」かたちづくられた議会が「多数決原理を基礎として」つくった法律を、政府が施行することに対して市民が反対して集会を開くことも、抗議のデモ行進をすることも、施行を阻止しようとしてストライキをすることも、これらすべての市民における直接民主主義の手だての行使があって、「主権在民」の政治は成立し、機能する。

 これは何も異常なことではない。日本よりはるかに民主主義の「先進国」としての西洋諸国に存在し、機能している民主主義の事態だ。たとえば、民主主義のまぎれもない「先進国」、近代議会制民主主義の発祥の地のイギリスで、アメリカ合州国のブッシュ政権に追随して「イラク派兵」をやってのけたブレア政権に反対してロンドンで大きな市民集会が開かれたとき、ロンドン市長は、「市民よ、反対のデモ行進に立ち上がれ」と激を飛ばした。そして、ロンドンを始めとして、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、北欧諸国で、参加市民の数が何万人、何十万人、いや、百万人にも及んだデモ行進が行なわれた。当のアメリカ合州国においても、各地で大規模な市民のデモ行進が街を歩いた。

 デモ行進ばかりではない。フランスでは、若者のクビを簡単に切れる法律を政府が施行しようとしたとき、学生たちは大挙して阻止のストライキに打って出た。そして、この学生たちの動きはフランス社会に大きく広がり、労働者のストライキにまで波及して、ついにその市民のストライキの力は政府にその施行を撤回させるにまで至った。

 こうしたことすべてがあって、行なわれて、民主主義政治は存在し、機能する。ことはデモ行進やストライキだけに限られる問題ではない。市民個人が政治意見のビラをつくり、撒くことも、民主主義政治を成立、機能させる不可欠の要素としてある。こうしたことも、西洋民主主義「先進国」の社会のなかで当然のこととして行われて来ていることだ。

 しかし、日本はどうだろう。ビラを撒いた市民を警察が捕らえ、裁判にかけ、裁判所が有罪の判決を下したのも、ごく最近のことだ。これで民主主義社会、民主主義国と言えるか。

 ここで、私たちの「イラク派兵訴訟」に戻って考えてみたい。市民が自ら金を出し合って、「戦争に加担しないで平和に生きたいという思い、人殺しに加担したくないとの信念、自己の納める税金を戦費に使用されたくないとの願い」をもとに裁判所に「イラク派兵」の差し止め、違憲の確認を求める訴訟を起こすことは、裁判所がくり返して執拗に主張するように「間接民主制の下」にあっても、民主主義社会、民主主義国の市民の当然の「主権在民」の行為で、当然、民主主義国の「法の番人」としてある裁判所は、その市民の訴えをいたずらに「却下」「棄却」しないで、まっとうに受け止める必要があるにちがいない。裁判所自体が、判決文のなかでこうした市民の訴えは「間接民主制の下における政策批判や、原告らの見解の正当性を広めるための活動等によって実現されるべきもの」だと主張しているのだが、私たちの市民訴訟は、そのあるべき「活動等」に当るのではないか。この裁判所自体が「説示」したあるべき民主主義社会の市民の行動を大阪地裁は「却下」「棄却」した(法律の専門家のなかには「棄却」は「却下」よりマシだとして、それだけ原告側は前進したのだと論じる人もいるが、私はこの種の専門家の論議に興味はない。「却下」「棄却」どちらにせよ、裁判所は市民の訴えをとりあわなかったのだ)。

 この「却下」「棄却」を「原告小田実ほか1048名」に大西忠重裁判長以下二名の裁判官が言い渡した所要時間はおよそ三分。言い渡しがすむと、三人の裁判官は判決文を読み上げることもせず、そのまま背後の扉のむこうに姿を消した。

 あと、判決文を原告ーすくなくともその「代表」の私に手渡してくれるのかと当然私は思ったが、判決文は一通ほどが原告支援の弁護士団に渡されただけで、原告にはまったく渡されなかった。そのくせ、あとで新聞記者会見に出て私に判ったのは、新聞記者には判決文が手渡されていたことだ。この裁判所による原告の市民無視は徹底していた。私は記者会見で「これは市民に対する侮辱だ」と言った。

 裁判所は何のために、また誰のためにあるのか。



 追記 私たちは大阪高裁に控訴した。控訴の原告は五百余人。最初の1048人から減ったが、それでも半数が再び原告となってこの市民訴訟をやりぬこうとしている。

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