作家
 小田 実のホームページ 年譜(プロフィール)

■  1930〜1940年代
■  1950年代
■  1960年代
■  1970年代
■  1980年代
■  1990年〜現在

1980年代


1980年(「昭和」55年)48歳
評論「歴史の転換のなかで」(岩波書店)。評論集「基底にあるもの」(筑摩書房)。評論集「小説世界を歩く」(河出書房新社)。評論=旅行記「天下大乱を行く」(集英社)

1981年(「昭和」56年)49歳
小説「HIROSHIMA」(講談社)。小説集「海冥」(講談社)。評論=旅行記「二つの戦後を旅する」(朝日新聞社)
「核」は人間ひとりひとりの問題になればなるほど、人類全体の普遍の問題になる―この認識を根にして、私は長篇の「HIROSHIMA」を3年がかりで「書き下ろし」た。「海冥」はまさに本書のもとになった「群像」連載の小説集。二つはつながっている。その思いで書いた。

1982年(「昭和」57年)50歳
評論集「状況と原理」(筑摩書房)。評論「小田実の反戦読本」(第三書館)。評論=旅行記「世界を輪切りにする」(集英社)。(安東仁兵衛ほかとの)対談「何でも語ろう」(話の特集)。エッセイ「『問題』としての人生」(講談社)
野間宏、井上光晴、真継伸彦、篠田浩一郎との季刊同人誌「使者」終了(1979年春号―82年冬号・小学館)。

1983年(「昭和」58年)51歳
評論「小田実の反核読本」(第三書館)。評論集「長崎にて」(筑摩書房)

1984年(「昭和」59年)52歳
小説「風河」(河出書房新社)。評論「毛沢東」(岩波書店)。評論集「状況への散歩」(日本評論社)。評論=旅行記「『ベトナム以後』を歩く」(岩波書店)。評論=旅行記「わたしの中国、わたしの太平洋」(集英社)
3月から9月にかけて半年、私は「人生の同行者」(つれあいのことを私はそう呼ぶ)文順恵と中国を旅した。最後の1月は「北朝鮮」滞在。「毛沢東」はその長い旅のなかで書き上げた。「風河」は最初、「文芸」に1983年10月号から84年2月号まで連載した長篇。

1985年(「昭和」60年)53歳
小説「D」(中央公論社)。エッセイ集「人間みなチョボチョボや」(毎日新聞社)
「D」は最初「海」(1983年11月号)に一挙掲載の長篇。「脱走兵」の今、現在における出現―それが「D」だ。
この年の夏から1年余、私は「西」ドイツ政府の文化交流基金を受けて、「人生の同行者」と「西」ベルリンで暮らした。つまり、「壁」のなかで生活した。いろんなことがあった。いろんなあったことのなかに、「日独文学者シンポジュウム」をドイツ側にはかって企画、開催したことも、「日独平和フォーラム」をつくったことも、さらには娘が生まれたこともあった。

1986年(「昭和」61年)54歳
評論「われ=われの哲学」(岩波書店)「世直しの倫理と論理」以来の私の思想的総括。「西」ベルリンで書いた。

1987年(「昭和」62年)55歳
評論集「強者の『平和』・強者の『反戦』」(日本評論社)。評論=旅行記「中国体感大観」(筑摩書房)。滞在記「ベルリン日録」(講談社)。小説「ベルリン物語」(集英社)
「ベルリン物語」は最初、「すばる」(1987年8月号)に一挙掲載。「壁」のなかの過去、現在、未来―それがこの長編小説の主題だ。

1988年(「昭和」63年)56歳
評論「西ベルリンで見たこと 日本で考えたこと」(毎日新聞社)。評論「『虚業』の大阪が『虚像』の日本をつくった」(山本健治との共著)(経林書房)
12月のチュニスでの「アジア・アフリカ作家会議」で、「HIROSHIMA」が「ロータス賞」を受賞。

1989年(「昭和」64年―「平成」元年)57歳
評論集「批判と夢と参加」(筑摩書房)。評論「小田実の英語50歩100歩」(河合文化教育研究所)
1月、「昭和」天皇死去。11月、「ベルリンの壁」崩壊。そのまえ、5月から6月、私は長く書きつづけて来た「ベトナムから遠く離れて」のしめくくりを書くためにベトナムを訪れて、ディエンビエンフーからカマウ岬まで旅した。途中、ダナンで、「天安門事件」の報道に接した。

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