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市民のみなさん方へ表紙

はじめに友人への手紙恒久民族民衆法廷おわりにフィリピンの友人との往復書簡



友人への手紙

 同封してお送りするのは、この3月、私が juryのひとりとして参加した「恒久民族民衆法廷」(Permanent Peoples' Tribunal――「PPT」)のフィリピンの怖るべき事態にかかわっての「判決文」のコピーです。現在のフィリピンの事態について、日本では、また世界では、あまりにも知られていないので、お送りします。
 「PPT」は、日本ではまったくと言っていいほど知られていませんが、ヨーロッパ、「第三世界」ではよく知られた民衆の国際的組織ですが、私は、イタリアの思想家、レリオ・バッソによって設立され、現在ローマに本拠をおいて活動をつづけているこの組織に、1979年の設立当初から参加して来ています。これは、一口に言ってしまえば、ベトナム戦争時の「バートランド・ラッセル裁判」の衣鉢を継ぐものと言えるでしょうが、国家の犯罪を「民」(民族・民衆)の側から裁く――そこで理非曲直をあきらかにしようとする企てです。私はこの企てに加わることを78年に来日されたバッソ氏に求められ、彼のその主張を聞いたあと、主張に賛同し、私は法律の専門家でないが、Common People としての common sense, Human Beings のひとりとしての Human Wisdom は持っているつもりだ、その二つに基いて参加すると答えました。
 以後、1979年にボローニャでの発足の式典に参加、さらには80年のアントワープで開かれたマルコス政権下でのフィリピンの事態にかかわっての第一回の法廷に jury として参加しました。実は、この3月の法廷は、その80年の第一回につづいての第二回のもので、第一回に参加した以上、第二回に参加するのが私のはたすべきことだと考えて、後述するような体調不良にかかわらず、オランダのハーグまで出かけたのですが、第一回の場合のマルコス政権下でのフィリピンの事態については、私もよく知っていたにもかかわらず、第二回の法廷に出た私は、現在の事態について、ほとんど何ひとつ知っていないことが、参加し、審議にくわわっているなかで判りました。しかし、これは私だけのことではない、世界の多くの人にとって同じだと考えて、この判決文を同封してお送りする次第です。
 今、フィリピンで起こっている事態は、まとめ上げて言えば、ブッシュ政権がひきいるアメリカが民主主義と自由を標榜しながら、「9・11」をタテにとって、アメリカに完全に支えられ、結託したアロヨ政権の下で、「 impunity 」(合法をよそおって、非合法の殺し、抑圧、拷問をする)の犯罪を大々的に反対勢力(のなかには、「左」はおろか、一般民衆、カソリック、プロテスタントの神職者たちも入る)の一掃をはかっていることです。私たちの「判決文」がブッシュ・アメリカ大統領とアロヨ・フィリピン大統領に対するものになっているのはそのためですが、「法廷」は五日間にわたっていろんな立場のフィリピンの証言を聞きました。(子細は「判決文」につけた文書のなかにあります)。
 この「 impunity 」の事態はまったくひどいものです。この「 impunity 」で、今、大きな役割を演じているのは、フィリピン軍とそれと深く結びついた在フィリピンの米軍です。いろんな証言者の証言を聞いていると、今さらながらあらためて、軍隊のこわさと、私たちの平和憲法――「九条」の意義、重要性が、浮きぼりになって来る感じです。
 今、こうした「 impunity 」をアメリカは、フィリピンの他にも、コロンビアで大々的に行なっているようです。フィリピン同様、コロンビアも、アメリカが大きな支配力をもって来た、アメリカの世界支配の軍事力の展開にとって重要な国としてあるので、民主主義と自由をうたい上げながら、同時に、「 impunity 」を強力に行なう必要のある国です。
 昨年秋、私たちの「PPT」とはちがった主体によるものでしたが、その名も「 Tribunal Contra La Impunida 」(「 Impunity 」に反対する法廷)と題した民衆法廷が開かれていて、そこから二人が、このハーグでの「PPT」に来て、参加されていました。(そのひとり、ベルギーのウータール教授は、ボゴタの「民衆法廷」の議長をして来た人物ですが、このハーグでの「PPT」の議長もしました。彼は今年82歳になる、ベルギーで「第三世界研究所」を開いた高名な学者です)。
 これ以上、くだくだと「法廷」について、述べることはやめます。五日間の「PPT」に出席して、「民主主義と自由」に加えて、「平和主義」の「九条」をもつ日本の思想的、また、現実政治的重要性をあらためて考えたとひと言申しそえて、あとは、ぜひとも、「判決文」をお読み下さい――と申し上げることにとどめます。私自身をふくめて、私たちは、世界のこうした事態について、あまりにも知らなさすぎるように思われます。私は「PPT」の「法廷」の席で、自分の無知を恥じると言いました。無知は犯罪であるとも言いました。帰国後、せめてホンコンの市民たちがしたように、事実調査の一団を組織して、現地におもむきたいと考えて、フィリピンの人たちに言ったものでしたが、以下に述べる私の健康状態では、それはかなわぬことになってしまっています。どなたか、そうしたことをしていただける人がいられたら、ありがたいと存じます。

 これまで、この手紙をお読み下さったことを感謝します。これからここで書くことは、私個人のみにかかわることなので、書くべきことでないといったん考えたのですが、上記の私の「頼み」にもかかわることなので、あえて書かせていただくことにしました。
 私は、この手紙の先のところで、体調を崩していたのにかかわらず、ハーグへ出かけたと書いていましたが、体調不良はそのあと、トルコへ出かけたときも、かわらずつづいていました。このトルコ行は、さらにいっそう「私事」にかかわることで書くべきことでないかも知れませんが、現在のアメリカの民主主義と自由をふりかざしての覇権行使にもかかわることなので、少し書いておきたいので、書いておきます。
 トルコ行のひとつの目的は、古代ギリシア(ことにアテナイ)の民主主義と自由、その繁栄をウラから大いに支えたのが黒海沿岸のギリシア植民都市であったことを現地へ出かけて少しでも確認したかったことと、私は、マーティン・バナールが『黒いアテナ』で主張する「古代文明のアジア・アフリカ起源」に根本的に賛成するもので、藤原書店に強引にたのみ込むかたちで出版してもらったのですが(訳者にも、私の「弟子」格の金井和子君に強引にたのみ込んでなってもらいました)、もう少しヨーロッパやアジアをひろがりのある視点で考えておきたかった――それが、トルコ行きの第二の目的でした。そう考えれば、トルコはユーラシア大陸のまさにカナメになる位置の国です。今回出かけたのは、トロイに始まるエーゲ海のギリシアとともに、黒海の沿岸地域で、シルクロードの西端のトラブゾンまで足を伸ばしました。マーティン・バナールは最近出した『黒いアテナ』の最終巻Vol.Vで、言語の起源は一本のカシの木のようなものでなく、マングローブの根のようにゴチャゴチャとつらなり合ったものだと主張していますが、私は、言語にかかわらず、人間の文化、文明、思想、論理、倫理もそうしたものでないかと、長年の世界とのつきあいから考えて来ています(この点で、ヘロドトスの『歴史』はギリシア中心の史観がなくて、きわめて示唆にとんだものだと、最近、あらためて考えています)。
 以上のようなことを考え、たしかめながら、体調不良をなんとかしのぎながら、強引にトルコも旅して歩いて帰国したのですが、帰国後病院で受けた検査で、体調不良は末期――またはそれに近いガンによるものであることが判明しました。
 英語の言い方で、「 His days are numbered 」(余命は限られている)というのがありますが、私の状態はまさにそれで、あと、3カ月、6カ月、9カ月、あわよくば1年――というぐあいに考えています(検査を受けた病院は、大阪の大阪駅近くの福島の病院ですが、福島は私が生まれた場所です。今年6月2日に私は75歳になりますが――生きていればの話ですが――75年、人生を一巡してもとのところに戻ってきた感があります)。
 短かいあいだですが、デモ行進に出ることも、集会でしゃべることももうありませんが、書くことはできるので、できるかぎり、書きつづけて行きたいと考えています。5月に手術して、あと、化学療法などやりますが、できるかぎり自宅にいようと考えています(この手紙も、病院からいったん出て、自宅でかいています)。
 「私事」にわたる報告は以上です。ではおたがい、奇妙な言い方かも知れませんが、生きているかぎり、お元気で。

2007年4月21日
小田 実


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