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■ 最近の寄稿より




『社会新報』2004年2月18日号 掲載

文化人コラム「小田実の これだけは言いたい」3
「生きて虜囚の辱を受けず」のよみがえりか

 私は、昔、沖縄で米空軍の司令官と会って話をしたことがある。そのこと自体を書こうとしているのではないので子細は省くが、話のなかで、私は彼に何気なく貴官は第二次世界大戦中、いずこで戦争をしておられたのかと訊ね、答を聞いておどろいた。彼いわく、大半はドイツの捕虜収容所にいた。緒戦のみぎりに、戦闘機だったか爆撃機だったかは忘れたが、とにかく彼の乗機は撃墜されて、彼はずっとドイツの捕虜になっていた。

 私がおどろいたのは、そんなことは日本軍―「皇軍」にあり得ないことであったからだ。「皇軍」では「生きて虜囚の辱をうけず」で、捕虜になることはあり得ないこと、つまり、死ぬことだった。それが、私の眼前の司令官は、かつて捕虜だったとてんたんとして言う。しかも、彼は戦争がすんだ後はもとの自分の軍隊――米軍に復帰したどころか、中将の地位にまで上って、司令官にさえなっている。

 私はおどろいたが、これはおどろくほうがどうかしている。いくさの勝ち負けは時の運、破れて戦闘力を失なえば、兵士はもう兵士ではなくなって非戦闘員の民間人になるのだから、白旗を掲げて捕虜になっていい――と、古代、中世はいざ知らず、現代では国際条約上でも人間の当然の権利として認められている。非戦闘員の民間人になれば、もう殺してはならないのだ。いくさが終われば白旗を掲げて捕虜になるのは当然のこと――自らの人権を行使しただけのことだから、もとの軍隊に復帰できる。もちろん、中将にまで上れる。司令官にもなれる。

 白旗を掲げて捕虜になることが恥辱、国家に対する不忠、許しがたい悪、罪悪だという考え方は、日本でも昔はなかった。すべてが「明治」になってからのこと――いや、「明治」につくられた「軍人勅諭」には、そこまで理不尽、人間無視の軍律はなかった。「生きて虜囚の辱を受けず」は、大東亜戦争開始に当たってつくられた「戦陣訓」にあった軍律――軍のオキテだった。

 私が今、なぜこんなことを書くのかと言うと、今かたちづくられつつある「有事法制」「有事体制」、さらには「国民保護法」を見ると、元来が非戦闘員=民間人であるはずの市民までがいざことあらば、白旗を掲げることはもちろんのこと、「非武装地域宣言」「無防備都市宣言」をすることも許されないで、日米防衛軍の米軍、自衛隊にどんな戦闘の展開のなかでも、ただ忠実につき従って行くようにことが定まるしかけになって来ているからだ。これは「生きて虜囚の辱を受けず」のよみがえりか。そこまでやって、やっと国民は保護してもらえるのか。






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