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■ 最近の寄稿より




『社会新報』2004年2月4日号 掲載

文化人コラム「小田実の これだけは言いたい」
災害救助の「非軍事化」を

 「阪神・淡路大震災」に兵庫県西宮で被災してから今年一月十七日で九年になる。そのときから考えてきたことのひとつを書いておきたい。

 災害救助の「非軍事化」についてだ。実際に自衛隊の災害救助――今や「イラク派兵」の最大の口実、大義名分となった「給水」を受けた体験から書いてみたい。

 震災後一ヵ月、水は水道から出なかった。直後は近所の井戸からの水と、前の海からの海水が、わが一家を支えた。水がいかに重いか。水運びのおかげで、私にそれが体得できた。一週間ほどで自衛隊の「給水」が始まったが、それはニ、三日間で終わり、あとは三重県久居市というおそらく誰も名前も知らない小都市から都市間の連帯ボランティア活動で来てくれていた給水車の水で、私たち一家は文字通り「露命」を支えた(ついでに言っておこう。日本中で金持ち都市としてたいてい知られている芦屋市は、給水車を一台も所持していなかった)。

 無名都市・久居市の給水車は、大きなタンク一杯の水を運んできてくれて、私たち一家も周りの住民も一日それで暮らすことができたが、自衛隊の「給水」では、大きな兵員輸送車が引っ張ってくる久居市の給水車のタンクの三分の一ほどの大きさの車輪つき鋼鉄製のタンクによる給水で、ニ、三時間ほどでタンクは空になった。

 タンクを引っ張ってきた兵員輸送車には、自衛隊員が二十人ほど乗っていて、ひと目でこの「給水」は、まずその二十人ほどの「兵士」のための給水で、住民のためのものではない。それを第一の目的としたものでないと知れた。

 震災の何年か前、自衛隊の潜水艦が釣り舟をぶち当てて沈めて、釣り舟の何人もが死んだ。潜水艦が救助作業を行わなかったので問題になったとき、海上自衛隊の司令官が口にした「自衛隊は、人命救助のためにあるのではない」うんぬんの発言を、私は忘れることはできない。

 人命救助、災害救助は、自衛隊の本務ではない。本務は、として国を守ることにある――と言いたいのだろう。

 だとしたら私たちは、人命救助、災害救助を本務とする災害救助隊をどうしてつくろうとしないのか。これは自衛隊とちがって武装しない、武器を必要としない、軍隊でない災害救助隊だ。

 「平和活動」護持をうたい上げながら、いざ災害となると、本務がである自衛隊に頼っていたのでは、「平和憲法」は内部から崩れかかる。

 「平和憲法」のもとで私たちが必要とするのは、巨大な兵員輸送車が引っ張ってくる車輪つき鋼鉄製の給水タンクによる給水ではなく、その何倍もの大きさのタンクのふつうの給水車による給水だ。






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