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■ 最近の寄稿より




『福祉のひろば』2004年10月号 掲載
サラダ社会をつくろう

 「9・11」。3年前の9月11日、同じ多発テロが起こってから、世界はおかしな方向に動きはじめた。

 移民の国・アメリカには、昔から自分たちの国の社会を「人種のルツボ社会」だとする考え方がある。ルツボは回りながら物質を熱で溶かして絞り出す。いろんな国から来た人間を、みんな一緒に、一つのルツボに入れて、ガチャガチャかき回し、こねくり回して、「アメリカ人」に仕上げるのだ。
 ブッシュ政権はどうやら、世界一強く、世界一エライ、自分たちが世界の中心になり、星条旗を巻きつけた巨大なルツボに、イラクも中近東も、世界中を武力で叩き込んで再構成し、強大なアメリカ帝国をつくろうとしているらしい。
 日本は日本で、君が代、日の丸で日本人を製造するルツボを回し、アメリカ主導の大きなルツボに入れてもらえるように頼んでいる。それも端っこのほうじゃなくて真ん中のいい場所に置いてくれ……と懇願しているようだ。

 「ルツボ社会」とは違う社会の考え方に「サラダ社会」というものがある。サラダは材料をこねくり回さない。レタスにはレタスの個性があり、トマトにはトマトの価値がある。ハムにもタマゴにもそれぞれのうまさがあり、それぞれの持ち味があり、それらが互いに認め合い、全体が集まってサラダを構成している。
 障害のある人々や高齢者はこのサラダ社会でなければ生きていけない。ルツボ社会では力の強い者がルツボを回し、弱い者ははじき飛ばされる。戦争になったら殺し合いに役立たない人間は真っ先に切り捨てられるのだ。
 サラダ社会の根本原則は平和主義だ。何よりもまず戦争・殺し合いをしないこと。それから、武器を持たない。問題の解決を非暴力、非武力でやることだ。
 もう一つ、サラダ社会に必要なものが民主主義だ。これはブッシュの「正義の戦争」の口実になる「天上天下唯我独尊的民主主義」ではない。レタスやトマトやハム、タマゴのなかに王様はいらないし、階級はない。誰がエライとか、誰が強いとかはない。それぞれがみんな対等、平等で、自由に生きられるからこそ、それぞれのおいしさが発揮できるのだ。
 私たちはこうしたサラダ社会をつくり、サラダ日本、サラダフランスやサラダアメリカが共存しあう、「サラダ世界」をめざすべきではないのか?

 ……人間みなチョボチョボや。古今東西みなチョボチョボや。英雄も偉人も老いを迎えればみんなタダの人。しかしそれが本当の意味での「市民」。サラダ社会を構成している大切な「市民」なのだ。

(本稿は7月31日、同志社女子中高で行われた「学生無年金障害者京都訴訟提訴3周年記念のつどい」での小田氏の講演から、本人と主催者の了解を得て抜粋したものです)






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