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■ 掲載記事




東京新聞・中日新聞掲載(2004年7月9日号)

随論「老いる」9
「今こそ旬」そして「ホナ、サイナラ」

 丸山真男のことで書いておきたいことはもうひとつある。地震後、被災者に対する「棄民」政治がつづくなか、私は私自身が被災者だが他の被災者と語らって、1996年3月、「阪神・淡路大震災被災地からの緊急・要求声明」を出した。これを土台にして私たちは、公的援助の法制度づくりの「市民=議員立法」運動を始めたのだが、私たちは声明への支持を求める訴えを広く書き送った。期日より送れて、丸山から「入院していて遅れた。今でも間に合うなら、ぜひ自分の名を入れて欲しい」と速達の葉書が来た。自分はこうした声明の運動にかかわらないことにしているのだが、これは別だ―とも書き加えていた。それからしばらくして、彼は亡くなった。

 彼が今生きていれば参加しているにちがいないと私が考えるのは、過日できた、86歳の三木睦子を最年長にして、あと年齢順に加藤周一、鶴見俊輔、梅原猛、奥平康弘、澤地久枝、私、大江健三郎、井上ひさしの九人の「第九条」維持を眼目とした改憲阻止の「九条の会」だ。週刊誌のグラビアページの写真と記事の大見出しは「平均76歳が唱える『今こそ旬の憲法』」(「サンデー毎日」2004・6・27号)。

 「今こそ旬」は私が記者会見で口にしたことばだが、憲法も今や「老いて」58歳、地元西宮の集会に出たら、「今でも旬」と書いてあった。ちがう、戦争で問題は解決しない、非武力、非暴力、手段によってしか平和は来ない事実を今世界の事態は時々刻々示して来ている。平和主義の「平和憲法」こそが「今こそ旬」だと私は集会で説き、記者会見でも言った。

 憲法は「今こそ旬」でこれからも元気に生きて行って欲しいが、生ま身の人間である私は死ぬ。自分で選びとって「する」死は自殺しかないが、私は自殺するつもりはない。「死ぬ」はすべて「される」ことだ。「死に方」をここで考えてみても仕方がない。私の「人生の同行者」(と私は「つれあい」を呼ぶ)は在日韓国人だが、すでに亡くなった母親は済州島でシャーマニズムの洗礼を受けて育ったせいか、彼女にとって「死ぬ」ことはどこかちがう在所へ引っ越しするごとくであった。実際、そんなふうにして彼女は死んだが、修行不足の私は、そこまで「死ぬ」を達観できない。せめてものことに、「人間みなチョボチョボや」の人間感の持ち主らしく、「ホナ、サイナラ」と気軽に言ってこの世界に別れを告げたい。

 =おわり






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