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■ 掲載記事




東京新聞・中日新聞掲載(2004年7月5日号)

随論「老いる」5
「サラダ政治」の平和主義と民主主義

 私は前回で、力ある強い者が中心にあってルツボでこねまわしてひとつにする「ルツボ社会」「ルツボ世界」はわれら年よりのものならず、レタスもトマトもハムもタマゴもそれぞれおいしさを発して全体のおいしさをつくる「サラダ社会」「サラダ世界」こそわれらのものと書いた。その基本にある「サラダ政治」は何よりまず戦争をしない、問題解決を日武力、非暴力で行う平和主義の政治だ。年よりには戦争はできないし、いくさとなると無用として捨てられるが、殺し合いしないで問題を解決するための知恵、分別、体験、さらにはボケももつ。使わない術(て)はない。ボケもときには大きな力をもつ。

 もうひとつ、「サラダ政治」に必要なのは民主主義だ。これはアメリカ流、ブッシュ大統領流の「正義の戦争」の口実にさえなる天上天下唯我独尊的民主主義ではない。レタス、トマト、ハム、タマゴが平等、自由に生きて、それぞれにおいしさを発するための政治原理、手だて、努力がこの「サラダ政治」の民主主義だ。私は外国人にこの民主主義を説くのに《Co-habitance of different values》という私の造語の英語を使うのだが(この造語はたいてい判ってくれる)、訳せば、「異質の価値の共生」――これがサラダ政治の民主主義だ。

 若狭、小浜の明通寺は、本堂と三重塔が美しい山あいの古寺だが、本堂の柱に「己が身に引き比べて 殺すな 殺されるな 殺すことを見逃すな」と中嶌哲演住職が自分で書いた紙が貼りつけてある。住職自身が選び出したブッダのことばだが、このことばほど征夷大将軍として大和朝廷軍を率いて出征、あまたエゾの民を殺すいくさをやってのけた坂上田村麻呂建立の古寺にふさわしい文字はない。そして、これは「サラダ政治」の基本となることばであるとともに、アジア・太平洋においてあまた殺しをやってのけた過去をもつわれら日本人にふさわしい自戒のことばだ。

 私が今や「林住期」に入ったと見える、若狭の地にのさばる原発に対して反対運動を地道にしている中嶌住職にひとつ感心したのは、彼が本堂で参拝客、観光客が来るたびに、寺の由来の説明とともに、小浜市での拉致事件にも触れて、古来からの朝鮮半島との「共生」関係の重要性を静かな口調で懸命に説いていたからだ。






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