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■ 掲載記事




東京新聞・中日新聞掲載(2004年7月2日号)

随論「老いる」4
「ルツボ社会」と「サラダ社会」

 移民の国アメリカには、昔から自分の国の社会は「ルツボ社会」だとする考え方がある。いろんな国からやって来た人間をルツボにいれて、こね合わせて「アメリカ人」というひとつのものに仕立て上げる社会だというのだ。こね合わせの媒介、触媒になるのが民主主義と自由。ルツボを星条旗で覆って、「アメリカ合州国」ができ上がる。

 私は、今のブッシュ政権のアメリカがやっていることは、この「ルツボ社会」形成のイラク、中東、ひいては世界への拡大版だと思う。小泉首相の考えていることも、似たようなものだろう。まず、に本と言うルツボのなかの種々雑多をこね合わせて「日本人」というひとつのものにねり上げ、日の丸でそれを覆って、さらにその「ルツボ日本」をブッシュ大統領のもくろむアメリカ中心の「ルツボ世界」のなかに入れる。

 こうした「ルツボ社会」の発想のもととなった「アメリカ=ルツボ社会」の考え方に対して、近年になって、アメリカ内部で、そんな考え方では、民主主義と自由の根幹の価値・多様性は失われ、白人中心の差別、偏見はいつまでも残る、それよりアメリカはレタスもトマトもハムもタマゴもそれぞれにおいしさを出して、全体のおいしさをつくり出す「サラダ社会」だ、そうあるべきだという主張が出て来た。

 私もこの考え方に賛成だ。理由は、小泉氏より年長で、度重なる米軍機による「大阪空襲」で殺されかかった体験を持つ私としては、彼が「靖国」でお参りする戦争を引き起こした張本人A級戦犯の連中や、彼の尻馬に乗って今や勇ましく「国益」をかかげ自衛隊の「イラク派兵」を行った若手の政治家たちと、「ルツボ日本」でこね合わせられた上で、さらにアメリカの主導する「ルツボ世界」にねりあげられるのはまっぴらご免こうむりたいからだ。それともうひとつ、どうせそうした「ルツボ政治」では、年を取って「される」側に立ち還った年よりたちは、中心部分の「する」側にさんざんな目に遭わされること必定(「年金」がその例だ)――やはり老いたりといえども、レタスもトマトもハムもタマゴもおいしさを出して生きていける「サラダ日本」、「サラダ世界」で残り少ない人生を生きることにしたい。この「サラダ政治」ほど「人間みなチョボチョボ」でタダの人になった年よりにふさわしい政治はない。






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