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毎日新聞阪神版「きらり 阪神な人」欄掲載(2004年1月30日号)

ひとりでもやる5
「これが人間の国か」。無策の政府に怒り市民の手で法律作り

 「深い音だった。ゴ―ッと。それから万物めちゃくちゃ」

 95年1月17日午前5時46分。西宮市の自宅マンションの寝室で小田実さん(71)は、激しい揺れに突き上げられた。妻のさん、長女ならさんの無事を確認して外へ出ると、不気味なほどの静けさ。周囲が明るくなって初めて、尋常ではない被害の大きさが分かってきた。

 神戸市長田区に住んでいた順恵さんの両親は、倒壊しかかった家の中でぼう然としていたという。避難所で一週間、寒さに耐えた。やっとのことで救い出すと、古里の韓国・済州島に帰った。だが、義父は病気で1ヵ月後に亡くなった。日韓併合(1910年)の翌年に生まれ、苦難を背負った人生だった。深い敬愛の念を込めた短編「『アボジ』を踏む」は97年の川端康成文学賞を受賞した。

 被災地では高齢者の孤独死、自殺は一向に減らなかった。国は制度がないことを理由に、被災者の生活再建のためには「ビタ一文出さなかった」。一方で沖縄の駐留米軍には「思いやり」予算を増額した。被災者は「棄民」と言っても過言ではない。「これが人間の国か」。怒りがこみ上げた。

 「制度がないなら市民の手で法律を作ろう」。96年5月、被災地の仲間と共に「生活再建援助法案」を練り上げた。デモ、座り込みを続け、法の必要性を訴えた。「被災者の生活再建なしに復興はない。生活基盤回復のための公的支援をするべきだ」。徐々に国会議員が動いた。98年5月、被災者生活再建支援法が可決、成立。市民が政府の壁に風穴を開けた。






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