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■ 掲載記事




毎日新聞阪神版「きらり 阪神な人」欄掲載(2004年1月29日号)

ひとりでもやる4
金芝河支援運動で出会い結婚。そして阪神大震災に……

 国内を反戦運動の渦に巻き込んだ「べ平連」は74年、ベトナム戦争が終結に向かったため解散。代表だった小田実さん(71)は「市民一人一人が考え、行動し、参加し続けるという、市民運動の新しいスタイルを生んだ」と振り返る。

 同時に、軍事政権の韓国で反体制派として逮捕された詩人、金芝河さんの支援を呼びかける運動も始めていた。「自分の責任において、正しいと思うことをやる」。行動はいつも明確だ。

 小説では「海冥」「HIROSHIMA」(ともに81年)などの作品で、戦争、核の問題を掘り下げた。戦争で人々が無残な死を遂げる姿を「難死」と呼ぶなど、独特の文体を確立した。

 出会いもあった。在日コリアン2世の画家、玄順恵さん。「金芝河支援運動に参加していた。おもろかったよ。国籍に縛られない自由人だね。おれもだけど。だからまあ気が合った」。82年に結婚。中国などを旅した。当時の西ドイツ政府の招きでベルリンで暮らしていた85年、長女ならさんが生まれた。

 順恵さんの両親は韓国・済州島生まれ。戦前、職を求めて日本に来た。朝鮮半島の激動の歴史を一身に背負った人だった。だが、苦労からにじみ出るユーモアには心底笑い、感心させられた。ハングルも日本語も読めない両親だったが、「苦労が思想になってるよ。真のインテリや」。

 その苦労を克服し、安定した老後が送れると思った95年、神戸市長田区に住んでいた両親と、西宮市に住む小田さん一家を阪神大震災が襲った。生活は根底から破壊された。






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