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■ 掲載記事




毎日新聞阪神版「きらり 阪神な人」欄掲載(2004年1月26日号)

ひとりでもやる1
戦争体験生かさぬ愚行に怒り「行動する作家」へ

 自宅マンションの一室にしつらえたこぢんまりした書斎。作家の小田実さん(71)=西宮市=は、原稿を書く手を休め、壁の写真を見上げた。1945年6月、ニューヨークタイムズ紙に掲載された、大阪空襲の航空写真だ。黒煙に覆われ燃え上がる市街。「おれはこの煙の下にいたんだ。この写真が鳥瞰図なら、こっちは“虫瞰図”や。」以来、地をはって物事を見極める姿勢を貫いてきた。

 連載小説や論評で、一日の大半は書斎にこもる。わずかな合間に、阪神大震災での国の無策ぶりを嘆き、アフガン空爆以来、更に軍事大国化が進む米国と、それに追随する小泉政権に怒りの声を上げる。「行動する作家」と呼ばれて久しい。

 大阪市出身。9歳の時、真珠湾攻撃のニュースに喜んだが、弁護士だった父元吉さんに「日本は負ける」と言われ、がっかりした。やがて、空襲は激化。焼夷弾が自宅の屋根を突き破り燃え上がった。街は異様なにおいがした。なにもかも焼き尽くされ、戦争は終わった。

 平和は劇的に訪れた。通っていた男子校の旧制中学と近くの旧制女学校の生徒を半数ずつ入れ替え、男女共学の新制高校が誕生。「バンカラ」校から、「お嬢様」校へ転校した。「学校の標語は『質実剛健』に決まっとると思ってた。それが『温雅貞淑』や。こりゃ革命だよ」

 その象徴が新憲法だった。「日本はとことん戦ってとことん負けた。戦争はこりごり。その実感が形になったのが憲法や。」もう戦争はないと思った。






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